| 【行者作法伝承の経緯 】 | ||||||||||||||||||||||
|
大峰山の山伏の修行、修験道の開祖役行者は、在家にして仏法修行に励む行者(優婆塞)にして、
一生修行を貫かれております。 私共は御縁により、優婆塞としての行者修行を、許されております。 行者作法は御経と共に行者修行の特徴的なものであります。 行者作法は問答・法斧・法弓・法剣の伝承の「書」が有るのみ。 当サイトは、所作においても「如法」を示すものであります。 先ずは櫻本坊様とのご縁に報恩の心をもって、真摯に謙虚に目を向け学ぶことです。 それが問答にある森羅万象がご本尊、ご本尊の御蔭を得、作法を修する、 如法に修するという事です。 ●作法伝承の経緯 当講の由緒は古くは、大正4年(1915年)創講の大峰組に遡ります。 以後、作法伝承の行者の多くが、平成9年に大峰龍王講、 そして平成25年に大嶺講として創講し、現在に至っています。 昭和の中頃、船越良玄様(大阿闍梨・権僧正)が大峰山護持院櫻本坊別院主管として、 藤井寺に河内別院をお開きになっておられ、大峰組先達も指導を受けておられ、 此の当時に「大峯山護持院櫻本坊傳授 他見ト複写不許 修験道行者問答」 (及び行者作法集)により、作法を修行研鑽していました。 それを「大峰組80周年(1995年)板」として複写編集したものが、 現在当講の行者作法・問答であります。 ●行者作法の伝承 行者作法、法斧・法弓・法剣、は現本と同じですが、行者問答においては、 「大峯山護持院櫻本坊傳授 他見ト複写不許修験道行者問答」(原本)と、 「大峰組80周年(1995年)板 問答」(現本)の違いは僅かに下記であります。 (原本)十七才ニシテ⇒(現本)七才ニシテ ※之は、日本霊異記上巻第28によると、 640年(舒明天皇11年)小角7歳にして仏耒に志し、9歳で出家して「役優婆塞」と名乗り、 叔父の願行に仏教を学んでその蘊奥(うんおう)を極め・・・・、とあります。 従って(現本)七才ニシテ に粗近く、その前文の、神童の誉れ高く、とも、 辻褄が合い ます。 (原本)道路ヲ開キ橋ヲ架ケ箕面山⇒.(現本)道路ヲ開キ橋ヲ架ケ交通ノ便ヲ図リ箕面山 ※問答は候文であり昔言葉で、道ヲ開キ橋ヲ架ケ が適切かと存じます。 (原本)念々続起ノ煩悩⇒(現本) 念々続越ノ煩悩 ※煩悩が沸き起こるものと感じるなら続起。 自制心を超えるものと感じるならば続越。 (原本)法螺ハ何故所持セラルルヤ (現本)法螺ハ何故所持セタルルヤ ※セラルルヤが一般的だが、道場主が興奮して問う様を表すのなら、セタルルヤも可。 (原本)草鞋は、の後に、斑蓋(はんかい)・肩箱()・笈(おい)、で太刀と続く。 ⇒(現本) 草鞋はの後、太刀。 (原本)最後に、これぞ真言、で一同従い召されよ、の後ろに、護摩供、追記有り。 ⇒(現本)護摩供の次、これぞ真言。 ※(口伝)天台系は、これぞ真言省略、代わりに、護摩供、を最後の問いとする。 ●他講問答との違い ・文言内容 当講問答は他講とは文言が異なりますが内容的には大きな違いはありません。 他講問答は、私共が所持している「行者秘帳」(昭和51年3月 1日印刷発行 車田商店 編集発行)と相似する箇所が多くあります。 之には、「金峯山寺修j験本宗の輩下の修験者・・・」とあり、 開祖等粗文言が同じです。 ※「行者秘帳」の問答項目 前半: 先達無し他同じ。 後半: 頭襟 法螺 錫杖 鈴懸 結袈裟 斑蓋 最多角念球 笈 引敷 螺緒 護摩刀 桧扇 金剛杖 斧 脚絆 草鞋 。
※当講問答について、他講より少々長い時間については講内において、 |
||||||||||||||||||||||
| 行者作法 |
||||||||||||||||||||||