【質問】大峰山より遠方在住でも大峰山の山伏(行者)に成れるか?
 山伏の修行は遠近を問わず、己自身の人間性を高め、徳を高める修行であります。
お経は、遠近問わず、学び、研究、如法を求め、修行できます。
作法も、遠近問わず、学び、研究、如法を求め、修行できます。
法螺は、遠近問わず、学び、研究、如法を求め、修行できます。

大抵の人は、大護摩供でやる為に、修行される方が多いのですが、
しかしながら、大護摩供自体が少なくなっており、その上、大護摩供での役は少なく、その役との御縁は、そうは多くありません。

問答にしても、山伏の基本が書かれており、山伏に成ろうとするならば、先ず問答を覚えるべきものであります。その中には絵空事が書かれているのではなく、人生の現実の問題に対応の仕方も書かれており、私共も多いに助けられています。

つまりは、どこかで役をするための修行、人に評価を得るため修行、やりたいしたいの煩悩を以ての修行は、山伏の修行ではありません。然しながら残念ながら山伏と言われている方にも、そういう方は多い。しかも現在行者が少なく、作法を覚えようとする方も少ない。従って少し覚えれば、褒められる。本人は、有頂天になり、またしたがり、いやしくもこびてしまう。一体何のための修行かを見失ってしまう。つまり俗世と、いやそれ以上どろどろの煩悩の世界と成ってしまいます。誰が上手、誰が上や下。その方の人間性、徳は、人の評価によって決まるものでは無く、変わるものでもないのであります。
 関東在住の櫻本坊輩下の行者・神里先達の法剣・承仕の作法
2019.2.3東京江戸川区燈明寺平井聖天節分会敬讃の紫灯大護摩供
里の修行に入る行者が少なくなっている現状に加えて、
遠方在住は行者として成就が難しいと思われています。
関東在住の神里先達は、授かった御縁に感謝し、報恩の心を持って、
謙虚に学ぶ心を持っての験徳の修行の結果であります。
 行者作法大嶺講山伏瀧谷吉野二見出雲